2025/02/15更新

郷土柊野

昔の地図や文書から私たちの町柊野の歴史をたどります

地図や文書は拡大してご覧ください

平成18年版地形図はほぼ現在の柊野の様子を表しています。

↑昭和13年版地形図、明治25年版地形図では賀茂川の石垣の堤防や柊野砂防ダムが見られません。

西賀茂用水路(川上用水路)、毛穴井用水路、明神川用水路を確認できます。

北山橋から北の堤防工事および柊野砂防ダムの建設は、昭和10年の賀茂川の氾濫以降、昭和16年頃に行われました。当時は、戦時体制の中で労働力不足から朝鮮人の労働者を使って工事が行われました。

明治22年・25年版地形図には、柊野を通る鞍馬街道や雲ケ畑街道が古い状態で書かれています。

↑(上2つの図)「愛宕郡上賀茂村絵図」に「上賀茂村の内柊原村」と書かれています。

「柊原村」の田地には「上賀茂社御修覆料田地」と書かれ、上賀茂神社の社の修理や神事のために「柊原村」が開墾されたことがわかります。

また、神山の解析谷をせき止めた溜池田地がつくられたこともわかります。

毛穴井水路も明神川水路も描かれており、「柊原村」開墾以前からある古い用水路であることがわかります。

「柊野絵図」は「柊野・上之段」の村絵図です。「古貴布禰森」と書かれていて「柊野貴船神社」が、そこにあったことが考えられます。「鞍馬街道」「いざり峠」なども書かれています。太閤検地以降、所有権・耕作権は各百姓にあり、年貢は直接、上賀茂神社(社家)に収められました。その様子がよくわかります。また、水路が赤で描かれ溜池が水源となっていることがよくわかります。

『柊野郷土誌・暫定版』柊野社会福祉協議会・柊野町内会連合会(平成12年発行)

柊野小学校の創立20周年を記念して発行されました。

p18とp19に柊野や川上などの由来が書かれています。

「柊野」は「寛文四年(1664年)、寺社奉行の許可を得て、上賀茂神社の御神事、御修理料のため開かれた新田村(「柊原新田村」または「柊野新田村」)であることが書かれています。

この新田開発には、73軒の農民が入植したことが上賀茂神社の古文書に書かれています。

入植した農民は関ヶ原の合戦などでの西方の敗残兵の末裔との家伝があります。