2024/11/04 更新

郷土誌『おおみや』に見る柊野学区

柊野学区の歴史の一端をご紹介します

<郷土誌『おおみや』について>

郷土誌『おおみや』は平成2(1990)年11月23日に大宮文化振興会によって発行され、大宮文化振興会郷土誌小委員会(委員長・奥村良一)によって編集されました。

<「写真で見る大宮」より>

「大宮空中散歩」と題して1946年・1961年・1969年・1982年の空中写真(航空写真)が掲載されています。

賀茂川を中央に、西山に舟山(舟形)、南には上賀茂神社と御土居、北側には現在の柊野学区各地域、1969年・1982年版では立命館の柊野グラウンド、京都産業大学の柊野グラウンドが見えます。

1946年版では、京都ゴルフクラブ西コースはありません。お土居、新大宮通、旧大宮通、堀川通、北山通などが鮮明に写っています。

1946年の航空写真
1946年の航空写真
1961年の航空写真
1961年の航空写真
1969年1982年の航空写真
1969年1982年の航空写真

<「大宮再見」神社・仏閣・旧跡などと見たり聞いたりしたものや中世の地名などを町別にまとめたもの>

<「井ノ口・樋ノ口」>

「井ノ口」は「堀小川」の水の取り入れ口からの地名。「樋ノ口」は「川上用水路」の取り入れ口から生まれた地名。1941(昭和16)年に賀茂川堤防や柊野ダムが完成する以前からある賀茂川沿いの用水路の取水口。

<「蟹ヶ坂」>

「蟹」は「埴(はに)」が転訛したものと思われる。埴は赤や黄の細かい粘土質の土のことで、近くの瓦窯との関連が考えられる。

平安京造営のため瓦を焼いた竃跡が近くから出土している。

<川上町>

室町期から登場する地名。賀茂別雷神社領。宝徳三年(1451)3月24日の河上郷地からみ帳(写)に「河上里」として登場する。川上大神宮の説明あり。

<庄田町>

室町期に登場する地名で正田とも書かれていた。現在の西賀茂上庄田町、下庄田町あたりのこと。賀茂別雷社領河上郷地からみ帳(写)に「南庄田・半山下(なかやました)と出てくるのが資料上の所見。「北が下庄田(しもしょうだ)、南が上庄田(かみしょうだ)」と上下(かみしも)が逆転している町名。古文書では「上ノ庄田」と書かれているものが多くあるので、「うえの庄田」というのが正しい読みで、北が低く南が高い地形から「うえ庄田」「した庄田」というのが本来の読み方の地名である。賀茂川左岸の「上之段」「下ノ段」に対応する地名。